今回は愛川欽也さんについて記事を作りたいと思います。
愛川欽也の娘は佳村萌?画像あり?
愛川欽也さんは俳優であり司会者、声優、ラジオパーソナリティ、エッセイストとして活躍されましたが2015年(平成27年)4月15日に80歳で亡くなられました。
妻はタレントのうつみ宮土理さんです。
1978年に離婚した前妻とは1958年に長男、1960年に長女をもうけています。
うつみ宮土理さんとの間に子供はいません。
長男は井川晃一さん、俳優です。
土曜ワイド劇場「西村京太郎トラベルミステリー」で親子共演されています。
清水刑事役で出演していたが、第57作をもって父の愛川欽也とともに降板した。
引用:井川晃一
愛川さんとは、あまりに似ていないかな?
長女は佳村萠さん。
歌手、女優、そして絵の才能もあるそうです。
出典:Moe Kamura
1980年代より、小劇場での舞台出演、映画出演、自作の曲をライブハウスで歌う等の活動を始める。
その一方、本の挿画、カバ−絵、個展開催など絵画での表現活動も始める。
主な出演作品(映画)83年『泪橋』黒木和雄監督作品86年『夢見るように眠りたい』林海象監督作品89年『20世紀少年読本』
愛川さんの本の表紙を描いたんですね!
休みの間に子供と日本、海外で生活をしながら絵を描きためる。
02年、「ほとらぴからっ」のライブ活動を再開。
歌と朗読によるソロの音楽活動、絵画のよる表現活動も再開する。
ソロでは、ギターの鬼怒無月、ヴァイオリンの勝井祐二、チェロの坂本弘道、ベースの松永孝義、ドラムスのSACHI-A 等と共演。
03年10月、東北沢のカフェ・ギャラリー『現代HEIGHTS』にて個展「うさぎのくらし」開催。
04年7月、新宿カフェ・ギャラリー『ユイット』にて個展「東京の空」 開催。
こちらも佳村萠さんの絵ですね。
歌はYouTubeで聴いてみましたら、とても優しい声です。
絵のイメージにピッタリですよ。
愛川欽也は2015年に死去
2015年3月に入り、長年出演してきた『出没!アド街ック天国』の司会を、放送1000回目となる2015年3月7日放送分(2月4日に収録)を以て急遽降板した。
「kinkin.tv」での自身のレギュラー出演番組においても、「愛川欽也パックインラジオTV」を2015年1月で終了させ「愛川欽也パックインジャーナル」の出演も、2015年3月21日付の配信では出演していたが、3月28日付の配信で「風邪をひき、大事を取って」という理由で欠席、4月3日も欠席した。
4月6日には「kinkin.tv」の放送全体を「大変心苦しく申し訳ない気持ちで一杯ですが、諸事情のため、継続することができません」と同日の放送をもって終了することを発表、完全閉鎖となった。
なお死去した4月15日は、奇しくも愛川が長年司会を務めた『出没!アド街ック天国』が20年前(1995年)に放送を開始した日でもあった。
引用:愛川欽也
亡くなるギリギリまで仕事を頑張っていらしたんですね。
2014年9月には「情報テレビ番組の最高齢の現役司会者」としてギネス世界記録に認定され、「出没!アド街ック天国」の番組内でギネス公認委員会の元、認定書が贈呈されました。
これは、すごいことですね!
愛川欽也の死因は肺がん?
事務所によると、愛川さんは昨年冬に体調の不安を訴え、検査の結果、肺がんが判明。
たっての希望で在宅治療を選んだ愛川さん。仕事に復帰する可能性にかけ、病名を公表しないまま、テレビ東京系「出没!アド街ック天国」の収録などに臨んでいた。
3月に「アド街」を降板して以降は在宅治療に専念。
「治療のため、今月初めには自宅に介護用ベッドなどを運び込んでいました」と芸能関係者。
先月までは元気だったというが、今月に入って容体が急激に悪化した。
妻のうつみ宮土理(71)の懸命の看病に支えられ、自宅で最期のときを迎えた。
息を引き取る直前まで「仕事に行こう」と寝言のように口にしていたという。
引用:愛川欽也さん壮絶肺がん死 80歳、闘病隠し仕事続け… うつみ宮土理憔悴 (1/2ページ)
肺がんの発覚時点で、かなり進行していたようです。
手術の場合は長期入院、放射線治療でも週5~6回の通院を2ヶ月、どちらも仕事に支障が出てしまうので愛川さんは週3回の通院で早ければ2週間の治療が終わる「重粒子線」を選択しました。
こちらは従来の放射線治療と比べても副作用が少ないそうです。
ただ、日本で行っているのは千葉、群馬、神奈川、兵庫、佐賀の5ヶ所だけなので愛川さんは千葉まで通われていたそうです。
しかし脊椎にも転移していて「アド街」1000回目の収録日も高熱で歩くことも大変だったのに気力で収録しましたが、その後の記念パーティーには参加できないほどでした。
それでも、愛川さんの意思を尊重して宮土理さんは「ただの風邪」と重病説は否定し続け、看病しました。
まだまだ仕事をされたかったんですね。
プロ魂を感じました。
愛川さん、お疲れさまでした。