今回は競馬で伝説的天才騎手といわれる福永洋一さんの娘・現在について調べて記事にしてみました。
福永洋一には娘がいるの?
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福永洋一さんといえば、1970年代の競馬界で伝説を残した天才騎手として知られ、現在活躍している武豊騎手をも凌ぐ人気と評価がありました。
1968年3月2日に新人騎手として初騎乗を迎えてからみるみるうちに勝利の回数を増やし、初年度で14勝を挙げ”中央競馬関西放送記者クラブ賞(関西新人賞)”を受賞しました。その後も順調に勝利を積み重ね地位を獲得していきます。
3年目には洋一さんの騎乗を希望する馬主が増加し、その年86勝を挙げリーディングジョッキーとなりました。
(※リーディングジョッキーとは、その国・地域・競馬場、もしくは主催団体においてシーズンの勝利数が最も多い騎手の事を言います。)
その後の現役生活でも、あまり勝利を期待されていない馬でも「洋一さんが騎乗すると勝利出来る」等、その馬に合った奇策や馬の特徴を見抜いて勝利へ導きトップ騎手へとのぼり詰めて行きました。
また、洋一さんの兄・甲さん、二三雄さん、尚武さんも騎手であり、四兄弟で競馬界で活躍されていました。
洋一さんは、調教師をしていた日迫良一さんの姪である祐美子さんと、祐美子さんが短大在学中に知り合い、1976年2月16日に結婚されました。
その年の12月9日、長男・祐一さんが誕生しました。
出典:https://yomidr.yomiuri.co.jp
↑現在の祐美子さんと洋一さん
現在祐一さんは、父の背中を追い騎手となり、毎年ランキングの上位を占める騎手として定着し、2008年9月27日には983勝目を挙げ、通算勝利数において洋一さんの記録に並びました。また、その際には以下のように話しています。
祐一さんは「父の背中を追いかけてきたが、近付くにつれ色々と見えてきて、最初より遠ざかったようにも思えた」と述べた。
翌日には984勝を達成して洋一の記録を更新、11月30日には洋一が直前まで迫りながら達成できなかった通算1000勝を記録し、「福永洋一の息子として競馬の世界に入り、父に縁のある方々に支えられ、ここまでやってこられました。先日、父の勝利数を超えたことで自分の中でもおもりが取れ、福永祐一個人として歩み出せたような気がします」と語った。
とあります。息子の祐一さんも父の才能を受け継いで現在活躍されているようです。
祐一さんが誕生した二年後には長女が誕生し、現在は理学療法士として活躍されているそうです。娘さんの名前の情報は見当たりませんでしたが、洋一さんには娘さんがいらっしゃるようですね。
福永洋一が落馬で頭蓋骨骨折?動画は?
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順調に天才騎手として勝利を重ねていた洋一さんですがにて、1979年3月4日に事故は起こります。
阪神競馬場でエイシンタローに乗って983勝目を挙げた後、メインレースの毎日杯で洋一はマリージョーイに騎乗した。
最後の直線において、斎藤博美が騎乗していたハクヨーカツヒデが前の馬に乗り掛かる形となり、まず斎藤が落馬。
さらに後方から走ってきたマリージョーイの脚が斎藤に接触し、洋一は大きく前方にのめったマリージョーイの背から落ちて馬場に叩き付けられ、頭を強打するとともに舌の3分の2以上を噛み切る重傷を負い、その場で意識不明となった。
以上の記事を見ただけでも悲惨な落馬事故だったと思われます。
命がけで馬と一緒に戦っているという事ですね。
事故直後の救命活動としてもこのようにありました。
事故発生後、洋一は直ちに馬場に待機していた救急車に乗せられて競馬場内の救護所に搬送され、当直の2人の医師と、馬主として毎日杯にケイシエルを出走させていた医師・内田恵司により救命措置が行われた。
しかし舌からの出血が気管に流れ込み、呼吸障害による窒息死の危機が差し迫っており、この前日、まったくの偶然に納入されていた新たな医療機器のひとつである気道チューブを気管に挿入して気道の確保を行い、危機を回避した。
しかし、瞳孔は散大し、血圧は低下、自発呼吸も極めて薄弱であったことから、3人の医師は、洋一が脳に深刻なダメージを負っており、早く医療設備の整った病院で治療しなければならないと判断し、救護所での応急的な処置を終えると、直ちに関西労災病院に搬送された。
一刻を争う事態で壮絶な救命活動の結果、一命をとりとめる事が出来た洋一さん。
奥様や騎手・調教師をしていた武田文吾さんに対して、洋一さんが落馬して入院する旨を伝えると「ああ、また落ちたのか。」と思われる程、常日頃から練習中などに落馬してはケロっと起き上がる洋一さんを見ていた為、伝えられた時点ではそれほど重篤なものだとは考えていなかったそうです。
この落馬事故に関しての当時の動画はあるようですが、無料動画サイトなどでは見つけられなかった為、興味のある方は探してみてください。
また、洋一さんの動画は見つかりませんでしたが、息子・祐一さんも2018年9月16日の阪神競馬6Rで入線後に落馬し、頭蓋骨骨折、気脳症と診断され戦列を離れていたそうです。
その落馬の際の動画は公開されていました。
出典:https://akitsuri.exblog.jp
なんとも、痛々しいとだけでは言い表せない映像でした。
どのスポーツにも怪我は付き物と言いますが、競馬は命の危険もある競技だという事がわかりました。
福永洋一の症状は重症なの?
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壮絶な落馬事故の後、懸命な救命活動によって救われた洋一さんですが、その後の症状について調べてみました。
約1年間のリハビリにより、同年9月、数歩であるが事故以来初めての自力歩行をすると、12月には義父の「おはよう」という挨拶に対し、「おはよう」と、たどたどしいながら応えるまでに回復した。
その後も徐々にではあるが回復を続け、1984年10月には家族と武田文吾が見守るなかで、栗東トレーニングセンター内の角馬場において、約5年半ぶりに馬に跨った。
このとき馬上で、かつて好んで歌っていた『南国土佐を後にして』を口ずさんだという
一時は危篤状態にまで陥った洋一さんですが、妻の懸命な看病と、洋一さんの努力と根気でリハビリにも耐え、約一年で数歩の歩行と少しの会話ができるまで回復されたのですね。
当時長男の祐一さんは2歳、娘さんは5か月だったそうですが、妻・祐美子さんの母が駆けつけてくれ、家の事は任せたうえで集中治療室に泊まり込み、その後も祐美子さんの母のおかげで自宅のある滋賀県から兵庫県内の病院まで毎日通えたそうです。
入院から1年8か月で退院し、自宅でのリハビリ生活になりました。
「ドーマン法」という機能回復訓練を取り入れたそうで
ドーマン法はアメリカのグレン・ドーマン博士が開発した。
起きている間はずっと訓練でした。
手足をバタバタさせたり、ハイハイのように腹ばいで全身を使って前に進ませたりと、赤ちゃんがするような運動を日々繰り返させます。
また、脳の血管を太くするため、マスクを使った呼吸の訓練もしました
奥様は必死で洋一さんの回復に努めたのが伝わります。
自宅も改造し、洋一さんにご両親はいらっしゃらない為、祐美子さんの両親が付き添いフォロー出来るようにと同居してくれたそうです。
洋一さんの為に懸命に尽くす妻と、それを周りからも支えてくれる仲間や身内がいた事にとても感動します。
福永洋一の今現在について
現在の洋一さんは、車いすに頼る事が多い生活のようですが立ち上がれる程な回復しているようです。
妻・祐美子さんの名前を呼ぶなどの簡単な会話、「トイレに行きたい」等も話せるようです。
事故から39年経った今、息子も自分と同じ道で活躍されていて、事故を経験し心配な気持ちもあるとは思いますが、それ以上に、活躍している話や頑張っている姿を見る事が洋一さんにとって誇りであり、幸せなのではないでしょうか。
いかがでしたでしょうか?
伝説的・天才騎手といわれた福永洋一さんの現在についてまとめてみましたが、若くして事故により惜しまれて引退した洋一さんは、今家族に温かく見もまれて幸せに暮らしているようですね。
素敵な笑顔を絶やさずに、これからもお元気でお過ごし頂きたいと心より思います。