橋幸夫の子供は2人。娘・奈央は弁護士として活動中! | 芸能人の娘まとめ

橋幸夫の子供は2人。娘・奈央は弁護士として活動中!

1960年代、「御三家」として押しも押されぬアイドルとして活躍した橋幸夫さん。

橋幸夫さんの娘さんはどのような方なのでしょうか?

調べていこうと思います。

芸能とは真逆のお堅い仕事をしているそうですよ。

橋幸夫の子供は2人

橋幸夫の子供は息子と娘の2人です。

息子さんの橋龍吾さんについては、コチラの記事をご覧ください。

 

橋幸夫には娘がいて弁護士をしてるの?

橋幸夫さんは1943年東京都生まれ、9人兄弟の末っ子だそうです。

橋幸夫は芸名で、本名は「橋幸男」なのだそうです。

最後の文字が変わっただけですが、かなり印象が違いますね。

1969年、国際線のスチュワーデスだった凡子さんと知りあい、翌年には婚約、1971年に結婚します。

子宝にも恵まれ、1974年に「奈央」という女の子が生まれます。

大人気の芸能人の親と、国際線のスチュワーデスのお子さんですから、さぞかしきれいな方だと思われますが、奈央さんは芸能界には入らず弁護士をしているそうです。

写真などがあればと思ったのですが、見つけることができませんでした。

さらに、橋幸夫さんと凡子さんには1976年に男の子が生まれ、こちらの方はしばらく役者としてテレビドラマに出演などをされていたようです。

橋幸夫は在日韓国人なの?

橋幸夫さんのことを調べていくと、「韓国人」という言葉がヒットしてきます。

ほっそりとした顔立ちと切れ長の目が韓国人の特徴に似ているからなのか、有名芸能人に多いからなのか、橋幸夫さんも在日韓国人なのではないかと噂されるようになったみたいですね。

ただ、橋幸夫さんの実家は呉服屋だったということです。

また、苗字が「橋」というのも、先祖が滋賀県で代々神主をしていたことに由来するという話もあります。

こういったことから、橋幸夫さんが在日韓国人だというのは単なる噂でしかない可能性が非常に高いですね。

 

そもそも橋幸夫ってどんな人なの?

1960年代にデビューした橋幸夫さん。

あまりなじみのない人もいるかと思いますので、ここで経歴を紹介します。

学生時代はやんちゃだったらしく、ボクシングに熱中していたといわれています。

このままプロの道に進んでもいいくらいだったようですが、お母さんが心配して歌の教室に通わせました。

これがきっかけで歌手への道を進んでいったそうです。

 

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1960年に「潮来笠」という曲でデビューし、その年のレコード大賞新人賞を受賞、紅白歌合戦にも出場します。

その後、舟木一夫さん、西郷輝彦さんと共に「御三家」と呼ばれ、大人気になりました。

1962年には吉永小百合さんとのデュエット曲「いつでも夢を」をリリースし、大ヒット。

その年のレコード大賞を受賞します。

さらに、1966年には自身の曲「霧氷」でも受賞します。

同じ歌手が2回受賞するのも、新人賞と大賞を受賞するのも橋幸夫さんが初めてなのだそうです。

こうして大人気歌手になった橋幸夫さんでしたが、その人気ゆえに1963年には刀を持った暴漢に襲われ、危うく指がなくなりそうになったといわれています。

歌手としては順風満帆でしたが、事業家としては今一つらしく、レコード会社を立ち上げたり、アイドル歌手をプロデュースしたりするのですが、うまくいかなかったようです。

ものまねがきっかけで再ブレイク?

 

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1980年代になると、全盛期に比べてレコードのリリースも減り、人気に陰りが見え始めた橋幸夫さん。

そんな折に、ある漫才師が橋幸夫さんのものまねをしはじめたら、それが大ヒット、ネタ元である橋幸夫さんにも改めてスポットが当たるようになっていきます。

橋幸夫さんが食品会社のCMに起用されたときには、その漫才師のものまねのネタを本人がまねるという現象が起きたそうです。

さらに、多くの芸能人がものまねで対決する番組が一世を風靡していた時には、ものまね四天王のひとりである清水アキラさんが橋幸夫さんのものまねをおふざけに近い形で面白おかしく演じて、こちらも大人気に。

「ご本人登場」という形でものまね番組に出演するなど、バラエティ番組にも段々と出るようになっていきました。

 

橋幸夫は「家庭的」ではなかった?

ふたりのお子さんがいて、お孫さんまでいる橋幸夫さんはどういった旦那さん、お父さんだったのでしょうか?

どうやら、あまり家庭的でなかったといわれています。

いわゆる昔の芸能人らしく、「酒と女は芸の肥やし」とばかりに大いに遊んでいた橋幸夫さんは、子育てにもほとんど関わらなかったようです。

また、橋幸夫さんのお母さんは亡くなる数年前から認知症になってしまったそうです。

お母さんの介護についての本の出版や講演をおこなっている橋幸夫さんですが、実際の介護は奥さんの凡子さんがほとんどやっていたといわれています。

夜中の徘徊やどこともなく垂れ流してしまう排せつ物の始末などで、凡子さんの睡眠時間は2時間だったそうです。

普通の夫婦なら即離婚になりそうな状況にあったにもかかわらず、あまりに家庭的でなかった橋幸夫さんが心を入れ替えるといったことで、47年にもわたって夫婦生活が成り立っていたそうです。

橋幸夫は現在どうしてる?画像は?

50年近くにもわたって何とか夫婦生活を続けてきた橋幸夫さんと凡子さんですが、2017年に離婚してしまいます。

「橋幸夫さんの度重なる浮気に、ついに凡子さんの堪忍袋の緒が切れた」とか、「凡子さんがあやしい宗教にはまってしまい、橋幸夫さんが離れていった」とか、様々な憶測が飛び交っていましたが、事実は本人たちのみぞ知るといった状況です。

きちんと財産も分けられたみたいですし、円満に離婚できたのではないかといわれています。

ただ、橋幸夫さんが離婚後まもなく20歳ほど年の離れた女性と再婚していることを考えると、夫婦仲はずっと良くなかったのかもしれませんね。

一方で、芸能活動は70歳を超えてもまだまだ現役、精力的におこなっているようです。

数年おきには曲もリリースしていますし、コンサートやディナーショーなどで直接ファンに会っているようです。

また、最近の芸能人らしく、SNSで近況を発信しています。

2020年には芸能生活60周年を迎え、さらに元気に活動していくのではないでしょうか。

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