中井貴一さんは1961年9月18日生まれ。
東京都世田谷区出身の俳優、歌手です。
成蹊大学在学中に本格的に俳優の道を進みだします、きっかけは大学在学中のスカウトでした。
そして1981年公開の松林監督の映画「連合艦隊」でデビューします。
そしてこの作品で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞します。
83年には「ふぞろいの林檎たち」で主演を務め、この作品も話題を呼び俳優「中井貴一」の知名度を上げていきます。
今回はそんな俳優・中井貴一さんの家族について調べていきたいと思います。
目次
中井貴一に子供はいない!
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中井貴一さんには一人娘がいるという噂があがっていますが、娘も息子もいません。
中井貴一さんが父親だったらと想像すると、ダンディだし威厳があるけど優しさも兼ね備えていて、理想的な父親だと思うんですが、残念です。
実際、2014年11月~12月にかけて行われた10~60代の男女500人へのアンケートで、理想の父親像1位に中井貴一さんが選ばれていますからね。
ちなみに中井貴一さんは既婚で年下の奥さんがいます。
2000年9月18日、39歳の誕生日に5歳年下の麻友子さんという一般女性と結婚しています。麻友子さんは、中井貴一さんの友人の勤務先の同僚で当時、スポーツ用品メーカー(中井貴一さんの友人がNIKE務めと言われている関係で、奥さんの元職場はNIKEなのではないか。と言われています。)に勤務していました。二人は2年の交際を経て結婚しました。
奥さんは一般人ということもあって顔写真はありませんが、週刊誌などでは女優の石田えりさんに似ていると言われています。
ちなみに奥さんは今も働かれています。現在は外資系の会社に勤めていると噂です。共働き家庭なんですね。きっと、奥さんは働くのが好きなのでしょう。社会と接点を持っておきたいのかもしれません。
万が一、離婚した時のリスクヘッジになりますから、ご英断だと思います。
2000年9月にアメリカのオレゴン州で挙式をしています。
30代前半の頃は結婚する気がないと噂されていましたが、結婚。それまではテニスプレイヤーの伊達公子さんと付き合っていました。
中井貴一さんは芸能界屈指のテニス上手と言われていました。
しかし、共通する趣味があったにも関わらず別れています。
別れた理由は伊達公子さんは海外遠征が多く会える機会が少ない為、中井貴一さんの家族から反対されたのでは?といった噂があります。
「テニスプレイヤーは家庭向きではない」とでも言われたのでしょうか。
中井貴一と嫁の馴れ初め~結婚まで
二人の馴れ初めは、中井貴一さんの誕生日パーティ。
中井貴一さんと麻友子さんの3回目のデート時は、立ち食いそば屋さんでした。大物芸能人とのデートと言えば、高級料理をイメージしますが、麻友子さんは全く嫌な顔をしなかったんだとか。
具体的には、「いいところがあるんだけど」って言って誘って入った立ち食いそば屋さん。奥さんは初めてだったようですが「おいしいね」と言って食べてくれたようです。
これがきっかけで、これなら末永くやっていけると中井貴一さんは確信したようです。やはり庶民派、質素な女性を結婚相手とすべきですからね。
中井貴一と嫁との間に子供がいない理由
↓でご紹介している通り、中井貴一さんの佐田啓二は37歳で交通事故で亡くなっているのですが、中井貴一はその歳で死ぬと考えていたため、嫁も子供も作らない。と思っていたという話があります。
しかし、実際には結婚していますよね。それは、佐田啓二さんが亡くなったときの年齢である37歳を超えたからです。
ちなみに、奥さんである吉谷麻友子さんは中井貴一さんの38歳の誕生日を祝うパーティーの席上で「お父さんよりも長く生きることができて良かったね」と言ってくれたようです。温かい言葉ですね。
そうして結婚した結果、子供についても考え方が変わったのかなと思ったのですが、子供についてはそもそもあまり願望が無いように感じます。
というのも、テレビ番組「ボクらの時代」で中井貴一×小泉今日子×宮本理江子の3人が出演した際、中井貴一さんは「神様が存在するなら、子供を持つことで大人になりなさいという人には子供を与え、子供の頃から背負うものがあって大人にならないといけなかった人には与えない、と采配している気がする」と言っていたんですよね。
このことから、この自分が子供を育てるなんて・・・と思っている、マインドブロックがかかっているように感じられました。
もちろん、夫婦仲が悪いわけではありません。むしろ、良好です。というのも20年以上、二人は喧嘩という喧嘩をしたことがないようですから。
結婚当時、中井貴一さんは39歳で奥さんは34歳。まだ子供は十分に望める年齢ではありますが、あえて子供をつくらなかったのかもしれませんね。不妊治療をしていたという情報もいっさいありません。
中井貴一の父親は俳優の佐田啓二
中井貴一さんの父は自分と同じ俳優さんだったんですね。
中井貴一さんの父佐田啓二さんは1926年12月9日生まれの京都府出身です。
早稲田大学在学中に人気俳優である佐野周二さんの家に下宿していた縁で芸能界へ。
引用:中井貴一の父・佐田啓二は事故で亡くなった?姉は中井貴惠!
中井貴一さんの父親は俳優の佐田啓二さんです。
1947年、木下恵介監督の「不死鳥」で、いきなり大スター田中絹代の相手役に抜擢され人気を上げていきます。
また小林正樹監督作「あなた買います(1956)」に出演した演技が評価され、キネマ旬報賞主演男優賞やブルーリボン賞主演男優賞を受賞し日本を代表する俳優と呼ばれるようになります。
しかし、中井貴一さんの父親・佐田啓二さんは37歳の若さで亡くなっています。
1964(昭和39)年8月17日、映画「君の名は」などで知られる人気俳優、佐田啓二(37)が交通事故で死亡した。
長野からの避暑帰りの車が山梨県韮崎市の国道の橋に激突。
運転手の無理な追い越しでカーブを曲がりきれなかった。
遺児の中井貴恵と貴一の姉弟も同じ俳優の道を選んだ。
死因は事故死、この時息子の中井貴一さんはまだ3歳でした。
映画業界では衝撃的なニュースとして取り上げられ、当時まだ3歳だった中井貴一さんも大きなショックを受けたそうです。
その後、大人になった中井貴一さんは父親と同じ俳優の道へと進みます。
中井貴一さんは父親に関するこのようなエピソードを語っています。
中井貴一はデビュー作となる映画「連合艦隊」の仕事が来たとき、中井は初め断ろうとしたらが、その瞬間に父親が憑依して、「やります」と言わせたという。
まるで亡くなった父親の佐田啓二さんが息子を俳優にさせようとしたみたいですね。
中井貴一の父親・佐田啓二の出演映画まとめ
22年木下恵介監督「不死鳥」の主役に起用され、華々しくデビュー。
続いて木下作品「肖像」(23年)、「お嬢さん乾杯」(24年)、佐々木啓祐監督「鐘のなる丘」3部作(23年・24年)に主演し、大船の二枚目スターの地位を確保した。
その後、渋谷実監督「自由学校」(26年)、大庭秀雄監督「命美わし」(26年)、渋谷監督「本日休診」(27年)「やっさもっさ」(28年)などを経て、28年菊田一夫原作、岸恵子共演の「君の名は」3部作(大庭監督)は記録的な大ヒットとなり、絶大な人気を得た。
以後、小林正樹監督「あなた買います」(31年)、山本薩夫監督「台風騒動記」(31年)、木下監督「喜びも悲しみも幾歳月」(32年)「永遠の人」(36年)、小津安二郎監督「彼岸花」(33年)「秋日和」(35年)「秋刀魚の味」(37年)など大船映画の名作に数多く出演した。
数多くの作品に出演していた佐田啓二さんは1950年代日本映画を代表する俳優の一人です。
この作品の中で人気を呼んだのが「君の名は」です。
「君の名は」と聞けば新海誠監督のアニメを思い浮かべますが、佐田啓二さんが出演していた「君の名は」は1953年から54年にかけて作られた3部作の実写映画です。
この映画は公開された年の日本映画興行ベスト1位と2位を独占、観客動員数は、およそ3000万人と予想され大ヒット作品となりました。
中井貴一の姉は中井貴惠!
中井貴一さんと言えば、若い人からお年寄りまで誰もが知っている俳優さんですよね。
最近でもドラマ、映画で活躍されている俳優さんです。
そんな中井貴一さんにお姉さんがおられるのを知っていましたか?
それが今回紹介をする女優の中井貴恵さんです。
中井貴一さんの姉は中井貴恵さんです。
年齢は1957年生まれの62歳、東京出身で大学は早稲田大学に通っていました。
女優として数々の作品に出演されていましたが最近は目立った活動をしていません。
このように中井貴一さんは芸能一家のようです。
中井貴一さんは現在もテレビドラマに出演するなど忙しい日々を送っています。
今後の活躍にも期待ですね、最後まで読んで頂きありがとうございました。