瀬下和夫の現在は?69歳で2026年7月に基調講演、会社は2024年に合併解散。娘など家族は非公表【2026年最新】

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瀬下和夫さんの現在が気になって検索された方も多いのではないでしょうか。結論から言うと、2026年7月には明治大学の校友会総会で基調講演を務めたことが、参加者のSNS投稿から確認できます。
経営していた瀬下建設工業は、2018年10月に民事再生法の適用を申請し、2021年に代々木建設へ社名を変更しました。代々木建設も2024年12月に別の会社へ合併して解散しており、今は会社そのものが残っていない状態です。
娘さんや奥さんなど家族については、ご本人も報道も公表しておらず、確認できる情報は見当たりません。自宅の住所も非公開なので、この記事には書かないことにしました。
この記事では、国税庁の法人番号公表サイトの履歴と当時の倒産報道、ラグビー日本代表としての経歴をもとに、確認できた範囲で整理しました。内容は2026年10月時点の情報です。

◆記事のポイント

  • 2025年12月と2026年7月のSNS投稿から、69歳の今もお元気で活動していると分かる
  • 瀬下建設工業は2021年に代々木建設へ社名変更し、2024年12月に合併して解散した
  • 2018年7月の事業停止から10月の民事再生申請までの流れと、負債額が食い違う理由
  • 娘や妻など家族と自宅は非公表で、日本代表13キャップなどの経歴も整理

※2026年10月時点で確認できた国税庁のデータ、当時の倒産報道、Wikipedia、会員向けコラムの紹介文、参加者のSNS投稿をもとにまとめています。

瀬下和夫の現在について分かる事実

  • 現在は69歳で存命と近況を確認できる
  • 瀬下建設工業は代々木建設へ社名変更
  • 代々木建設は2024年に合併して解散
  • 事業停止から民事再生申請までの流れ

現在は69歳で存命と近況を確認できる

結論から言うと、瀬下和夫さんは1957年8月20日生まれの69歳で、2025年12月と2026年7月の2回、お元気な様子を伝える投稿が確認できます。ここ、いちばん知りたいところですよね。
どちらも第三者のSNS投稿ですので、中身を一つずつ確かめながらご紹介しますね。

①2025年12月は秋田工業高校の同期生が「元気です」と紹介

2025年12月28日付のInstagramで、秋田工業高校の同期生という方が、瀬下さんとのツーショット写真を投稿しています。投稿の中で、瀬下さんのことを「瀬下和夫クンは元気です」と紹介していました。
同じ投稿には、花園ラグビー場の第2グラウンドで高鍋高校を応援した話題も出てきます。半世紀前の1975年度、第55回全国高校ラグビーの1回戦で、3年生だった瀬下さんたち秋田工業が高鍋に16対29で敗れた思い出も、笑い話まじりに綴られていました。

②2026年7月は明治大学校友会総会で基調講演

2026年7月5日付の別のInstagram投稿には、「明治大学校友会総会に出席しています」「基調講演は、昭和55年度ラグビー部主将の瀬下和夫氏」と書かれています。テーマは「前へ!!70歳の人生戦略」だったそうです。
投稿者は立教大学でラグビーをしていた方で、「明治の北島監督は伝説の人です」と綴っています。投稿では、北島監督から教わったこととして「ボールは両手で持つこと、人を大切にすること」が紹介されていました。

ただ、どの支部の総会なのかは投稿に書かれておらず、校友会の公式サイトでも、当日の講演者名までは確認できませんでした。講演の中身は、あくまで参加者の投稿を通じて分かる情報だと考えてくださいね。

③年齢は2026年8月20日に69歳になった

1957年8月20日生まれですので、2026年8月20日に69歳の誕生日を迎えています。講演テーマにある70歳は、あと1年足らずで迎える節目の年齢にあたります。
ここに書いた年齢は、公表されている生年月日から計算した数字です。

④Wikipediaには存命人物として掲載されている

Wikipediaの瀬下和夫さんのページは、2026年10月6日に更新されていて、没年月日の欄は空欄、カテゴリも存命人物のままです。訃報を伝える報道やお知らせは、2026年10月15日時点で確認できた範囲では見当たりません。

時期 確認できる近況 情報の種類
2025年12月28日 秋田工業高校の同期生が、瀬下さんとのツーショットを投稿し、お元気だと紹介 同期生のInstagram投稿
2026年7月5日 明治大学校友会総会の基調講演「前へ!!70歳の人生戦略」の講師として紹介 参加者のInstagram投稿
2026年10月6日 没年月日の欄は空欄のまま、存命人物として最新の内容に更新 Wikipedia

出典元:Instagram(2025年12月28日の投稿) / Instagram(2026年7月5日の投稿) / Wikipedia(瀬下和夫) / Wikipedia(第55回全国高校ラグビー)

瀬下建設工業は代々木建設へ社名変更

結論から言うと、国税庁の法人番号公表サイトで、瀬下建設工業は2021年1月27日に株式会社代々木建設へ商号を変更したことが確認できます。2018年当時の記事だけを読むと、今も瀬下建設工業が秋田で営業しているように思えてしまいますが、実際の登記の履歴は少し違うんですよ。
公的な記録をもとに、変更の流れを整理しますね。

①法人番号が同じなので、別会社ではなく同じ法人

瀬下建設工業の法人番号は4410001001489で、社名が変わっても同じ番号のまま、国税庁のページに変更履歴が残っています。法人番号は、会社が名前や本店の所在地を変えても変わらない仕組みです。
つまり代々木建設は、新しくできた別の会社ではありません。瀬下建設工業が名前を変えた、同じ法人ということになります。

年月日 変更の内容 変更前と変更後
2015年10月5日 法人番号の指定 1987年3月に設立された会社として、法人番号4410001001489が指定された
2021年1月27日 商号の変更 瀬下建設工業株式会社から、株式会社代々木建設へ
2021年1月29日 本店所在地の変更 秋田県秋田市から、東京都渋谷区へ
2023年9月12日 本店所在地の変更 東京都渋谷区から、京都府京都市伏見区へ

②社名変更の理由は公表されていない

民事再生法の適用を申請したのは2018年10月15日で、社名変更は2021年1月27日ですから、約2年3か月後のことです。社名や本店を変えた理由を説明した公式発表や報道は、確認できた範囲では見当たりません。
再生計画が認可されたかどうかを直接伝える資料も確認できませんでした。ただ、2021年と2023年に登記の変更が続いていますので、法人としては存続していたことが分かります。

③Wikipediaの人物欄とも一致する

Wikipediaの人物欄には、勤務先が「秋田市消防本部→秋田市役所→瀬下建設工業→代々木建設」の順で書かれていて、肩書きは代表取締役社長、活動拠点は秋田県秋田市と東京都渋谷区になっています。
2021年から2023年にかけて本店が渋谷区にあった国税庁の履歴と、時期も場所もきれいに重なります。

④本店所在地は会社の情報で、自宅ではない

ここで書いている所在地は、法人の登記上の本店で、国税庁が誰でも見られる形で公表している情報です。瀬下さん個人の自宅ではありませんし、番地までは書きません。
会社の住所をそのまま自宅だと決めつけてしまうと、まったく関係のない方に迷惑がかかることもあります。ここは気をつけたいポイントですね。

出典元:国税庁の法人番号公表サイト(株式会社代々木建設) / 全国法人リスト(代々木建設) / Wikipedia(瀬下和夫)

代々木建設は2024年に合併して解散

結論から言うと、代々木建設は2024年12月1日に、京都市中京区の株式会社Gen Mark Corporationへ合併して解散しています。国税庁のページには、登記記録の閉鎖として、2024年12月2日の日付で記録されています。
つまり今は、瀬下さんが社長を務めた会社そのものが、法人として残っていない状態です。

①合併による解散は、倒産とは別の扱い

合併で解散した会社の権利や義務は、合併先の会社に引き継がれるのが基本です。破産のように、債権者への配当を目的に会社を清算する手続きとは、仕組みが異なります。
ですので、2024年の解散を見て「また倒産したのでは」と受け取るのは、少し違うんですね。ただし、合併に至った事情までは公表されておらず、確認できる資料もありません。

②合併先のGen Mark Corporationとは

国税庁の記録では、合併先の本店は京都市中京区にあります。同社の公式サイトでは、事業として「不動産事業」と「サンラッキー事業」が紹介されています。
瀬下さんが合併後のこの会社でどんな立場にあるのかを示す資料は、確認できませんでした。憶測で書くことはしないでおきますね。

③現在の肩書きはどう考えればいいか

検索すると、いろいろな肩書きが出てきて混乱しやすいので、確認できる根拠と、今の状況を表にまとめました。
結論は、現在の肩書きをはっきり示す公式の資料は、確認できた範囲では見当たらないということです。

よく見かける肩書き 書かれている場所 現在の状況
瀬下建設工業の代表取締役 Wikipediaの本文、2011年の会員向けコラム、2013年・2014年の紹介記事 2021年に社名変更しているため、今の肩書きとしては古い
代々木建設の代表取締役社長 Wikipediaの人物欄、全国法人リスト 2024年12月に合併して解散済み
秋田ノーザンブレッツの理事長 Wikipediaの本文、2011年の会員向けコラム 2026年10月の公式の役員一覧に、お名前が見当たらない
昭和55年度の明治大学ラグビー部主将 2026年7月の参加者の投稿、明治大学ラグビー部OB会の戦歴 過去の実績で、今も講演のときに紹介される肩書き

④Wikipediaの本文が古く見える理由

Wikipediaの本文にある、瀬下建設工業の代表取締役として秋田で実業に携わりながら、クラブの理事長も務めているという趣旨の文章は、会員向けコラムに載った2011年1月付の紹介文と、ほぼ同じ内容です。人物欄だけが代々木建設に更新されているため、ページの中で新旧の情報が混ざっています。
どの情報が、いつの時点のものなのかを分けて読むと、混乱しにくくなりますよ。

出典元:国税庁の法人番号公表サイト(株式会社代々木建設) / 株式会社Gen Mark Corporation / 全国紫明クラブ(2011年の会員向けコラム)

事業停止から民事再生申請までの流れ

結論から言うと、瀬下建設工業は2018年7月2日に事業を一時停止し、7月9日付で銀行取引停止処分を受け、10月15日に秋田地裁へ民事再生法の適用を申請しました。日付つきの報道で確認できる、2018年の出来事です。
当時の報道をもとに、流れを時系列でたどってみましょう。

①2018年7月から10月までの時系列

日付 出来事 伝えた媒体
2018年7月2日 早朝、本社入り口に「事業一時停止のお知らせ」を貼り出し、事業を停止 東京経済ニュース
7月5日・7月9日 7月5日に1回目、7月9日に2回目の決済が不調に 東京経済ニュース
7月9日付 銀行取引停止処分を受けたことが、東京商工リサーチの調べで判明 不景気.com
8月31日 事後処理を弁護士に一任し、民事再生の申立準備に入った 東京経済ニュース
10月15日 秋田地裁に民事再生法の適用を申請し、同日、保全命令を受けた JC-NET

②会社の規模は従業員29名、年商約22億円

東京経済ニュースによると、瀬下建設工業は秋田県内でも上位に位置する建設業者で、2017年12月期の年商は22億4,722万円、従業員は29名、資本金は2億1,850万円でした。
不景気.comが伝えた東京商工リサーチの情報では、学校や病院、マンションなどの建築や土木工事を主力に、青森・仙台・横浜・福岡にも営業拠点を開設していたそうです。
1987年3月の設立から約31年。地方の建設会社としては、決して小さくなかったことが分かります。

③民事再生とは、会社を清算せずに立て直す手続き

ここからは一般的な制度の説明です。民事再生は、経営が行き詰まった会社が、裁判所の関与のもとで、債権者への返済を減らしたり分けたりしながら、事業を続けて立て直す手続きです。
会社をなくして清算する破産とは考え方が違い、経営者が続投する例も、交代する例もあります。今回、申請と同日に受けたとされる保全命令は、一般には、手続きの間に財産が散逸したり、一部の債権者だけに返済したりするのを防ぐためのものです。

瀬下建設工業の個別の再生計画の中身は、確認できる資料がなく、書くことができません。
ただ、先ほどの登記の履歴から、2021年にも法人として登記の変更がされていたことは確かめられます。

出典元:東京経済ニュース(2018年9月5日公開) / 不景気.com(2018年7月13日) / 不景気.com(2018年9月10日) / JC-NET(2018年10月17日)

瀬下和夫の現在と合わせて知りたい経歴や家族

  • 倒産の原因と負債額が食い違う理由
  • 死亡の噂が出た理由と存命の根拠
  • 娘や妻など家族と自宅は非公表
  • 元日本代表No.8の経歴と明治大学主将時代
  • 秋田ノーザンブレッツ理事長の現在
  • 瀬下和夫の現在と家族のまとめ

倒産の原因と負債額が食い違う理由

結論から言うと、原因は1つに絞れず、複数の要因が重なったと報じられています。負債額が約12億円から17億円まで幅があるのは、数えた時点や範囲が違うためです。ここ、記事によって数字がバラバラで戸惑いますよね。
媒体ごとの内容を、並べて見てみましょう。

①報じられた原因は複数ある

不景気.comが伝えた東京商工リサーチの情報では、受注は堅調でも利益は低調で、多額の借入金が資金繰りを圧迫していました。さらに、従業員による事業外への資金流用が発覚して、事業の継続は困難と判断した、という内容です。
東京経済ニュースは、採算性の低さや、債務超過を増資で回避する状態が続いていた点を指摘。JC-NETは、受注競争の激化による採算の悪化と、関連会社への資金流出や投資による資金の固定化を挙げています。

FACTAの2018年11月号によると、本社の貼り紙には「社長の体調不良に加え、従業員の不祥事、顧問弁護士の離任があった」と書かれていたそうです。
資金繰りの悪化は複数の媒体が挙げていて、従業員の不祥事は、不景気.comとFACTAが触れています。

②負債額が食い違う理由

伝えた媒体 どの時点の数字か 負債額
不景気.com(東京商工リサーチの調べ) 銀行取引停止処分を受けた時点の見通し 約16億5,000万円
東京経済ニュース 2017年12月末時点の見込み 16億5,400万円内外
FACTA(2018年11月号) 地元の信用情報筋の話による、決算書上の数字 17億円
JC-NET(2018年10月17日) 民事再生法の適用を申請した時点 約12億円

数字が違う理由として、一般には、決算書に載る負債と、申請の時点で債権者に負っている債務とで、数える範囲が異なることが考えられます。ただ、実際にどう違ったのかを説明した資料は、確認できていません。
JC-NETは、準備段階の記事で約16億円としていて、申請後の記事で約12億円に改めています。この記事では、媒体と時点を添えて、確認できた数字をそのまま並べるにとどめます。

③怪文書が出回ったという報道について

FACTAは、この倒産が日本ラグビー協会にも飛び火するのではないか、という見出しの記事を載せていて、怪文書が出回る事態になっていると伝えました。ただ、記事は有料で、全文は確認できていません。
出所のはっきりしない文書の内容は、裏付けが取れず、個人の名誉にも関わります。ですので、この記事では中身を紹介しないことにしました。

出典元:不景気.com(2018年7月13日) / 東京経済ニュース / JC-NET / FACTA(2018年11月号)

死亡の噂が出た理由と存命の根拠

結論から言うと、瀬下和夫さんが亡くなったという報道は確認できず、前述の通り、2025年12月と2026年7月の投稿でお元気な様子が伝わっています。それでも死亡説を目にして不安になった方は、いらっしゃるかもしれません。
噂が出る背景を、冷静に考えてみましょう。

①噂の火種になりやすかった出来事

噂が広がる理由は、1つではないはずです。確認できる事実から、誤解されやすかった点を整理しました。

誤解されやすい出来事 なぜ誤解されやすいか 実際に確認できること
貼り紙にあった社長の体調不良 事業停止の貼り紙に体調不良と書かれ、連絡が取れなくなったと報じられたため 体調の詳細は公表されておらず、その後の講演の様子は伝わっている
倒産後に報道が少なくなった 2018年以降のニュースが少なく、ネット上の情報が当時のまま止まって見えるため 2025年と2026年のSNS投稿で近況が確認できる
会社が消えたこと 2024年に会社が解散し、現在の肩書きが分からなくなったため 会社の解散と、ご本人の生死は別の話

ここに挙げた3点は、あくまで誤解が生まれやすい背景として考えられる、というお話です。噂を最初に流した人や、根拠までは確認できていません。

②死亡説を見かけたときの確かめ方

まず、実際に亡くなった場合は、新聞社や所属していた団体、母校のOB会など、複数の場所から訃報が出ることが多いものです。確認できる範囲でそうした発表はなく、Wikipediaも存命人物のままです。
次に、SNSの投稿は、投稿日と投稿者を確認しましょう。今回の2件は、日付と、同期生や参加者という立場がはっきりしていました。まとめサイトの死亡説は、根拠が書かれているかどうかが分かれ目になります。

③「現在」の検索で上位の記事に足りなかったこと

Yahoo!検索で瀬下和夫さんの現在を調べると、Wikipediaや、2011年の会員向けコラム、2013年と2014年の同窓会の紹介記事、2016年の創業30周年のブログなど、2018年より前の情報が中心に出てきます。
上位に出てきた記事の中には、2018年以降の動き、つまり社名変更、本店の移転、2024年の合併解散と、2025年以降の近況まで通して書いたものは、見当たりませんでした。だからこそ、この記事では、その空白をできるだけ埋めたいと考えました。

娘や妻など家族と自宅は非公表

結論から言うと、娘さんや奥さんなど家族の情報は、ご本人も報道も公表しておらず、確認できる資料は見当たりません。自宅の住所も非公開です。ご家族のことが気になって検索された方には、少し残念なお知らせかもしれません。
どこを確認して、何が書かれていなかったのかを、正直にお伝えしますね。

①確認した情報源と、家族についての記載

確認した情報源 家族の記載 備考
Wikipedia(瀬下和夫) なし 配偶者と子供の欄は、どちらも空欄のまま
全国紫明クラブ(2011年の会員向けコラム) なし 経歴と事業の紹介が中心
東京秋工会の紹介記事(2013年・2014年) なし 経歴とチャリティートークショーの話題
倒産当時の報道(2018年) なし 会社の経営と負債の話に限られている
2025年・2026年のSNS投稿 なし 同期生や参加者の立場からの近況の紹介

②家族の情報が出ていないのは自然なこと

経営者や元アスリートの方でも、ご家族は一般の方であることが多く、公表する義務もありません。むしろ、家族の話が表に出ていないのは、プライバシーを大切にされている結果と考えるのが自然です。
69歳という年齢を考えると、お子さんやお孫さんがいらっしゃっても不思議ではありません。ただ、いるともいないとも公表されていないので、この記事では断定しません。

③家族を探すときの注意点

同じ名字の方や、会社の関係者を、家族だと思い込んでしまうケースがあります。名簿や記事に同じ名字の方が載っていても、親族とは限りません。
特に、一般の方の名前や勤務先を、憶測で結びつけるのは危険です。娘さんについても、確かな情報がない以上、探し回らないのがいちばん安心だと思います。

④自宅の住所は書かない

自宅の場所は公表されておらず、公的な資料で確認できるのは、会社の本店所在地の変遷だけです。秋田市、渋谷区、京都市伏見区と移ってはいますが、これは会社の登記上の住所で、ご本人の住まいとは限りません。
個人の住所を探して公開することは、プライバシーの侵害になるおそれがあります。ですので、この記事では、自宅について詳しい場所を書かないことにしています。

出典元:Wikipedia(瀬下和夫) / 全国紫明クラブ / 東京秋工会(2014年12月21日)

元日本代表No.8の経歴と明治大学主将時代

結論から言うと、瀬下和夫さんは、日本ラグビーフットボール協会の名簿で、日本代表キャップ保持者の233番目に載る元日本代表選手です。キャップ取得時の所属は秋田市役所で、キャップは13、ポジションはナンバーエイトでした。
ここからは、高校、大学、社会人と、時代を追って経歴を見ていきましょう。

①経歴の年表

時期 出来事 確認できる出典
1957年8月20日 秋田県秋田市で生まれる Wikipedia
1975年度(開催は1976年1月) 秋田工業高校3年で、第55回全国高校ラグビーに出場。1回戦で高鍋に16対29で敗れる Wikipedia(大会)、同期生の投稿
高校卒業後 秋田市消防本部に入り、翌年に明治大学を受験して合格 全国紫明クラブ
1980年度 明治大学の主将を務め、日本学生代表の主将も兼ねる。全国大学選手権で準優勝 全国紫明クラブ、明大OB会
大学卒業後 秋田市役所に採用され、秋田市役所ラグビー部でプレー。昭和59年度には主将に 全国紫明クラブ
日本代表時代 テストマッチに出場し、キャップ13。キャップ保持者の233番目 日本ラグビー協会
1987年 秋田市役所を退職し、瀬下建設工業を設立 全国紫明クラブ、同期生の投稿

②高校3年の花園は初戦敗退だった

秋田工業高校は、この大会で4年連続37回目の出場という名門でした。1回戦の相手は宮崎の高鍋高校で、16対29で敗れています。
半世紀たった今も、同期生の方が思い出として語るほど、印象に残る試合だったようです。名門の選手として、全国の舞台に立っていた高校時代だったことが伝わります。

③1980年度の明治大学は、決勝で同志社に惜敗

瀬下さんが主将を務めた1980年度の明治大学は、関東大学対抗戦を2位で終え、全国大学選手権に進みました。準決勝では慶應義塾大学を18対9で下しています。
決勝は1981年1月3日。同志社大学に6対11で敗れ、準優勝でした。明治はトライを奪えず、同志社が初優勝を果たしています。それでも、大学ラグビーの記録サイトには、9年連続9回目の決勝進出だったと記されており、強い明治を率いた主将だったことが分かります。

④講演テーマの「前へ」に込められた意味

「前へ」は、明治大学ラグビー部を象徴する言葉として知られています。2026年7月の講演テーマに、その言葉が選ばれているのも納得ですね。
学生時代に鍛えられた精神を、70歳を前にした今も語り継いでいる様子が、参加者の投稿から伝わってきます。

出典元:日本ラグビーフットボール協会(男子日本代表のキャップ保持者) / 全国紫明クラブ / 明治大学ラグビー部OB・OG会(1980年度) / 大学ラグビー選手権の記録(第17回)

秋田ノーザンブレッツ理事長の現在

結論から言うと、Wikipediaの本文には理事長と書かれていますが、2026年10月に確認した公式の役員一覧に、瀬下さんのお名前は見当たりません。発起人の1人としては、今も名前が残っています。
地域のラグビーとの関わりを、順に見ていきましょう。

①公式の役員一覧に名前はない

秋田ノーザンブレッツの公式サイトにあるクラブ組織図では、理事の会長は秋田県ラグビーフットボール協会の三浦廣巳さんです。副会長や理事、監事、顧問の一覧にも、瀬下さんのお名前は確認できませんでした。
Wikipediaの「理事長」という記述は、2011年の会員向けコラムの紹介文と同じ文章です。現在の体制は、この組織図で確かめるのがいちばん確実です。

②設立の発起人としては名前が残る

クラブ理念のページには、発起人代表の三浦廣巳さんに続いて、発起人の1人として瀬下和夫さんのお名前があります。クラブの立ち上げに関わったことは、今も公式に記録されているわけです。
Wikipediaの秋田ノーザンブレッツのページには、秋田市役所時代の元日本代表選手として、瀬下さんのお名前も載っています。

③地元での存在感を伝える2つのエピソード

1つ目は、巨人の原辰徳監督(当時)との交流です。東京秋工会の紹介記事によると、瀬下さんは原さんと学生時代から親交があり、1993年以降ほぼ毎年、秋田でチャリティートークショーを開いてきました。2013年11月30日には、秋田キャッスルホテルで約670人が集まっています。
2014年12月21日には、約20年にわたって県内で子どもたちやお年寄りを励ます活動を続けたとして、秋田県が原さんに知事表彰を贈りました。招いたのは、瀬下建設工業の瀬下社長でした。

2つ目は、2016年7月4日の創業30周年パーティです。参加した地元の会社の社長ブログによると、総員450人が集まり、知事や市長の祝辞があったそうです。
瀬下さんは謝辞で、苦難がたくさんあったこと、何度もダメかと思ったこと、そのたびに支えてくれた人がいたことを話したと伝えられています。この2年後に事業停止となる流れを思うと、胸に迫るものがありますね。

④秋田のラグビーは今も続いている

秋田ノーザンブレッツは、今もジャパンラグビートップイーストリーグで戦っています。公式サイトによると、2026年10月5日の試合では、明治安田ホーリーズに33対26で勝利しました。
かつて秋田市役所ラグビー部でプレーした瀬下さんにとっても、地元のラグビーが続いていることは、うれしいことではないでしょうか。

出典元:秋田ノーザンブレッツRFC(クラブ組織図) / 秋田ノーザンブレッツRFC(クラブ理念) / 東京秋工会(2013年12月2日) / 東京秋工会(2014年12月21日) / 社長ブログ(2016年7月4日)

瀬下和夫の現在と家族のまとめ

結論から言うと、瀬下和夫さんは69歳の今もお元気で、2026年7月には明治大学校友会総会で基調講演を務めています。一方で、経営していた会社は2021年に社名を変え、2024年12月に合併して解散しており、家族や自宅の情報は公表されていません。
2018年の倒産当時の報道が、そのまま古い情報として残りやすい人物ですが、国税庁の法人番号公表サイトの履歴をたどると、2021年の社名変更から2024年の合併解散までの流れも見えてきます。

①この記事で確認できたことと、確認できなかったこと

確認できたのは、2025年12月と2026年7月の近況、会社の登記上の変遷、2018年の事業停止から民事再生の申請までの日付、ラグビー日本代表としての経歴です。
一方で、現在の肩書き、合併後の会社との関わり、民事再生の再生計画の中身、娘さんや奥さんなどの家族、自宅の場所は、確認できる資料が見当たりませんでした。分からないことを分からないまま書くのも、大切な情報だと考えています。

②今後、最新情報を確かめるときのポイント

会社の動きは、国税庁の法人番号公表サイトで、法人番号4410001001489を検索すると、最新の変更履歴を誰でも確認できます。ご本人の近況は、明治大学校友会や、母校のラグビー部OB会、秋田のラグビー関係団体の公式発信がいちばん確かです。
SNSの投稿を参考にするときは、投稿日と投稿者の立場を見て、噂や古い情報と混ぜないようにしてくださいね。
最後に、記事全体の要点を整理しておきますね。

  • 瀬下和夫さんは1957年8月20日生まれで、2026年10月時点で69歳である
  • 2025年12月28日付の投稿で、秋田工業高校の同期生が元気だと紹介している
  • 2026年7月5日付の投稿で、明治大学校友会総会の基調講演「前へ!!70歳の人生戦略」の講師と伝えられた
  • Wikipediaは存命人物として掲載され、訃報や死亡を伝える報道は確認できない
  • 瀬下建設工業は2021年1月27日に、株式会社代々木建設へ商号を変更した
  • 本店は秋田市から東京都渋谷区、さらに京都市伏見区へと移った
  • 代々木建設は2024年12月1日に、株式会社Gen Mark Corporationへ合併して解散した
  • 現在の肩書きをはっきり示す公式の資料は、確認できた範囲では見当たらない
  • 2018年7月2日に事業を一時停止し、7月9日付で銀行取引停止処分を受けた
  • 2018年10月15日に秋田地裁へ民事再生法の適用を申請し、同日に保全命令を受けた
  • 負債額は約12億円から17億円まで幅があり、数えた時点と範囲の違いによる
  • 娘や妻など家族の情報は公表されておらず、自宅の住所も非公開である
  • ラグビー日本代表のキャップは13で、キャップ保持者の233番目にあたる
  • 明治大学では1980年度に主将を務め、全国大学選手権で準優勝した
  • 秋田ノーザンブレッツの公式の役員一覧に、2026年10月時点でお名前は見当たらない

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