お笑いトリオ「コント赤信号」のリーダー・渡辺正行さんの娘・樺音さんについてご紹介!
大学はどこなのかにも言及します。
渡辺正行さんの病気の噂や現在どうしているかまで深掘りします!
渡辺正行の娘の名前は樺音
「リーダー」の愛称で知られる、今や伝説のトリオ「コント赤信号」で一世を風靡した渡辺正行さん。
独身時代は色々な女性と浮名を流しましたが、1999年に18歳年下の女性と結婚し、年貢の納め時と言われました。
そして2000年1月24日に待望の女の子が誕生しました。
明石家さんまさんもよく女遊びが派手だった男性に限って女の子が産まれる。
これは一種の罰なのか?
と言っていますが、渡辺正行さんの娘さんの溺愛ぶりは、そんなに興味のない私の耳まで届いていますので、相当なものなのでしょう。
渡辺正行さんの娘さんのお名前は「樺音(かおん)」ちゃんと言います。
そんな樺音ちゃんの画像がコチラ。
可愛らしくて癒し系な感じがします。
この当時は13歳ですから、まだ初々い雰囲気ですね。
渡辺正行の娘・樺音の最終学歴は東大?
現在19歳となった渡辺正行さんの娘・樺音さんですが、大学はどこへ通っているのでしょうか?
その歴史をたどっていくと、小学校は恵泉小学校だったという情報がありました。
中学、高校は東京都市大学付属に通っていたという線が濃厚です。
この東京都市大学付属学校は偏差値68と、かなり頭のいい学校ですので大学はそれなりにレベルの高い大学へ行かれたのではないかと思われます。
2024年には24歳になり、もしストレートで進学していれば、すでに大学を卒業している年齢です。ちなみに、樺音さんの誕生日である1月24日は、渡辺正行さんの誕生日と同じ日です。
樺音さんが名門大学に編入したという噂が広まっています。
日本の大学編入では、一般的に3年次編入が多く、4年制大学の3年次から編入できる仕組みです。
他の大学で2年次までの課程を修了し、一定の単位を取得した人や、専門学校や短期大学を卒業見込みの人が主な対象となります。
また、年次編入学という制度もあり、これは4年制大学の2年次から編入できるものです。
樺音さんが3年次編入をしたのか、2年次編入をしたのかは不明ですが、以前通っていたとされるのは東京都市大学(通称:都市大)です。
この大学は東京都世田谷区に位置し、理系から文系まで7つの学部があり、大学院も併設された総合大学です。キャンパスは世田谷区の他に3つあります。
樺音さんは大学2年生か3年生の時に東京都市大学に在籍し、その後編入学試験を経て名門大学に進んだのではないかと言われています。
一般的に東京の名門大学といえば東京六大学で、東京大学、早稲田大学、慶応義塾大学、明治大学、立教大学、法政大学の6校が有名ですが、樺音さんが編入した大学もその中の一つかもしれません。
しかし、別の可能性も考えられます。
高校卒業後に短期大学に進学し、その後東京都市大学に編入したという説もあります。
ひとつ言えるのは、東京大学に進学している可能性は無さそうです。
親子仲
渡辺正行さんには樺音さんという一人娘がいて、彼女が生まれた瞬間からずっと溺愛してきました。
↑の画像は樺音さんが13歳のときに、日本テレビの『おしゃれイズム』に親子で出演した際のものです。
樺音さんの前歯には歯列矯正の器具が見られ、彼女が大切に育てられていることが伝わってきます。 番組を見た視聴者からは、樺音さんに対する高評価の声がたくさん寄せられていました。
番組内では、親子でディズニーランドに行くことがよくあり、一緒にアトラクションを楽しんでいる様子が語られていました。
大学生になってからは、以前ほど一緒に出かける機会は減ったものの、親子の絆は変わらず強く、パパっ子の姿勢は健在のようです。
かつては女性好きで遊び好きだった渡辺正行さんですが、結婚し樺音さんが生まれてからは、家族を大切にする素敵なパパになりました。
渡辺正行に病気の噂が?
渡辺正行さんは50歳ころにある病気を患っていたことを告白しました。
それが「うつ病」でした。
「50歳ぐらいの時。舞台やってて、初日に今までに感じたことのない…
血が逆流するぐらいあがっちゃって。
初日だからかなあ、と思っていたら2日目も3日目も…」と当時を振り返った。
知り合いの医師に相談したところ、男性の更年期症状のひとつであるうつ病では、と診断され薬を服用。
その後回復したことを明かした。
引用:渡辺正行がうつ病だった過去を告白。実は様々な有名人が更年期うつ病に苦しんでいた・・
実は病気の中で一番辛いのが「うつ病」だとも言われています。
心の病はやはりそう簡単には治らないからです。
出口の見えないトンネルに手探りで歩いている状態なので、果てしなく続くように思えるのです。
男性と女性ではちょっと違うのかもしれませんが、男性の更年期障害はこういった病状です。
倦怠感や無気力、情緒不安定、睡眠障害、うつ状態などの心理的な症状のほか、発汗やめまい、ほてり、耳鳴りなどの身体症状がみられることがある。
加齢により、男性ホルモンのひとつであるテストロンが低下することが主な原因といわれているが、テストロンが低下しなくても症状が現れることもある。
なかなか理解されないのが「うつ病」であり、特に渡辺正行さんのように芸能人でお笑いタレントだったりすると、暗い顔など見せられませんし、無理に場を明るくしなければならない使命もあったりすので余計厄介だったと思います。
渡辺正行さんの場合、きちんと服薬して現在は完治しているようです。
ただ、一説では渡辺正行さんが病気で激やせしたという情報がありましたが、これは、「炎の体育会TV]の企画で、剣道の昇段試験のトレーニングで体重が落ちただけのことで、病気ということではありません。
渡辺正行は現在どうしてる?
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最近、渡辺正行さんをテレビでお見掛けする機会が減っている気がしますが、渡辺正行さんは現在どうしているのでしょうか?
その前に、渡辺正行さんの過去、どうやって売れたのかを簡単にご紹介します。
大学在学中の1977年、劇団テアトル・エコー養成所に入所する。
ここで一級上のラサール石井、同期の小宮孝泰とともにコントグループ「コント赤信号」を結成した。
1980年に『花王名人劇場』でデビューし、暴走族コントなどで人気を博す。
引用:渡辺正行
リアルタイムで見ていないにもかかわらず、「待たせたな」の台詞も頭に入っていますし、渡辺正行さんと言えばコーラの一気飲みの印象も残っています。
渡辺正行さんは1986年から現在に至るまで、若手お笑い芸人の育成にも力を入れていて、「ラ・ママ新人コント大会」をずっと主宰しています。
同大会は所属事務所の枠を取り払った門戸の広いお笑いライブで(現在はホリプロコムが協力)、過去にはウッチャンナンチャンを筆頭にダチョウ倶楽部、爆笑問題、くりぃむしちゅーら、のちに名声を博すことになるお笑い芸人たちも多数出演していた。
引用:渡辺正行
また、「M-1グランプリ」での審査員を務めたり、毎年ではありませんが「R-1グランプリ」「THE MANZAI」の審査員も務めています。
お笑い界ではまだまだ必要とされていて、需要と供給のあるタレントさんだと思います。